世界初のパーソナルコンピュータの原型は、ヒューレット・パッカード(HP)に勤務していたウォズニアックが作りました。しかし、上層部は「こんなおもちゃ、誰が使うんだよ」 と製品化を却下したのです。
ジョブズはそれを喜びました。。すぐさま、クルマを売っぱらって部品を購入しました。
ウォズニアックはギーク仲間にオープンにして、貢献できればいいくらいにしか考えてなかったし、HPを辞める気なんかさらさらなかったのです。
そこでジョブズがウォズを口説いたのがこの言葉です。
「もしダメになってもいいじゃん。後で会社起こしたことあるって自慢できるってのは、 なかなか人生でもないことだよ。」
社名は、2人が大好きだったビートルズのレーベル名にしました。こんなノリで作った会社が、世界有数の会社になったわけです。
ちなみに同じ頃、サイモンとガーファンクルは、若かりし頃、トムとジェリーというアマチュアバンドで当てたお金でキャデラックを買ってすぐに大破しました。
ニール・ヤングとステファンスティルスは、カナダをアメリカの結ぶ道を、お互い対向車線を走っていた時に出会って、伝説的なバンドを結成しました。
アメリカ人の起業って「ちょっとした出来心」なんですね。
スティーブ・ジョブズとウォズニアックは創業者ですが、社長ではありませんでした。これが米国企業の面白いところです。
ちょうど出資者でもあったマイク・マークラが社長をやめる時期でした。ジョブズはまだ自分が社長をやれるタマではないと思っており、社長を探していました。
彼はペプシの社長であるジョン・スカリーを招聘することにしました。コカ・コーラと飲み比べるキャンペーン(ペプシチャレンジ)をしでかした人物です。
そこで、ささやいた言葉がこれです。
「残りの一生を砂糖水を売って生きるのか、それとも俺らと新しい未来を作るか。どっちがいいかい?」
かっこよく決めたリクルーティング劇でしたが、1年後にジョブズはこのスカリーを追い出そうとして失敗。
砂糖水を売っていた男から、クビを切られることになりりました。
ジョブズ、30歳の痛い思い出です。
Appleに投資したいというゼロックスに対して、ジョブズが要求したのは「最新のコンピュータ技術の現場を見せろ」ということでした。そして、実現したのが、パロアルト研究所の見学です。
「こんなすごい技術が商用化されずに腐っていくのか」と感嘆したそうです。
ジョブズはここで、マッキントッシュの原型となったデスクトップとマウスという概念を見たのです。
その中には、iPadのようなもの、iPhoneのようなものがあったとも言われています。
マッキントッシュは商品化できましたが、その後ジョブズは長い間Appleを離れます。
もしジョブズがAppleに戻らなかったら、iPhoneやiPadが、世界に現れずに闇に葬られた可能性もあったのです。
Apple上で動くソフトウェアのベンダーだったマイクソロフトのビル・ゲイツは、親の知人を頼って、IBMを訪問しました。
そこで唱えたのが「ディスクオペレーションシステム(DOS)」、IBMはそれを採用することにしました。
しかし、そんなものは当時のマイクロソフトにはないわけで、ゲイツが口八丁で売ったものでした。
彼は、もらった契約金で、すでに「DOSのようなもの」を開発している会社を買収し、それを「DOS」として売ったのです。
一方、Appleを追い出されたジョブズは、ネクストを創業しOSを開発していました。
IBMが採用をしたいと手をあげたがジョブズは断りました。 「契約書が分厚いのが気に入らない」と言ってゴミ箱に捨ててしまったのです。
もし、ここでIBMと組んでいたら、ウィンドウズはなかったのかもしれません。どんなに重要なな商談であっても、気に食わないことはやらないというわけでした。
スタンフォード大学の卒業式講演にてジョブズが「Macがなかったら、今のPCに美しいフォントはなかったことになります」と言った時、拍手喝采が起こりました。
ジョブズは、大学中退した後もモグっていたカリグラフィーの授業で、たくさんの美しい文字に出会っていました。これが、マッキントッシュにたくさんのフォントが搭載されることに繋がりました。
このパクリ論争、実はゲイツがうまいことジョブズを言い負かしていたのです。
「あなたは、たまたま隣人が金持ちで、あなたはそこの家具を盗みました。それは、僕らより、ちょっと早かっただけなのではないですか。」と。
昔のことだから水に流すような人物ではありません。10年前以上も前の恨みを、きっちり返すのがジョブズ流といえそうです。
iPodのパッケージには、このメッセージが書いてありました。
当時の音楽業界は、ナップスターによる違法ダウンロードが横行しており、大手の音楽パブリッシャーは独自で楽曲をオンライン販売をしていました。
そこに、「俺らに任せろ」と割って入ったのが、Appleの iTunes Music Storeでした。
ジョブズはストアとセットの売り方をしました。他社はユーザはPCにつなぐわけないだろと高をくくってました。しかし、ジョブズはインターネットが当たり前になることを見越してました。そして、ナップスターのユーザの動向も。
莫大な楽曲数の入るiPodと、莫大なラインナップの音楽が1曲ごとに手に入るオンラインストアをセットにすることで、Appaleは市場を制したのです。
「コピーをしないように」とは書いてありましたが、倒産したナップスターで行き所の失った音楽データは、iPodやMacにおさまっていたのです。
音楽業界の人たちは、俺たちがApple製品を売っているようなものだと愚痴をこぼしました。
時すでに遅し。音楽業界はジョブズたちの軍門にくだることになりました。
ジョブズの晩年のある日、Appleのウェブサイトでは、「明日、いつもと同じ一日が、忘れられない一日になります。」という全面アナウンスがされました。
Appleファンの間では、新機種の発表かとざわめきました。しかしその発表が「ビートルズ全楽曲の配信」と判明した時点で、落胆ムードと変わりました。
でも実はジョブズにとっては念願のことでした。
何気なく大好きなアーティストにまつわる単語を社名に選んだばっかりに、Appleレーベルとは長い間、係争をくりかえしていたのです。
一度は「Appleコンピュータは、音楽関連ビジネスをしない」という約束でおさまりましたが、そうはならず、社名も「Apple」となっていきました。
このような中で、堂々と「Apple」を名乗り、しかもビートルズナンバーを配信できるなんて、ジョブズにとっては夢のようなことだったのです。
スティーブ・ジョブズの愛車のメルセデスが、障害者向けの駐車スペースにあることが、しばしばニュースになりました。
とある日、
娘が、「なんでお父さんはナンバープレートをつけないの?」と聞きました。
ジョブズは「なんでだと思う?」と聞き返します。
娘は、「反逆者と思われたいからでしょ?」と言いました。
すると、ジョブズは「ちょっとしたゲームなのさ。」と言いました。
すでにiPodで完全復活をとげて、iPhoneの開発にいそしんでいるスティーブ・ジョブズが、スタンフォードのスピーチで「人生最良の日」にあげたのは、30歳の頃でした。
彼は30歳にAppleを追い出されました。シリコンバレーを離れようとも思いました。「シリコンバレーの精神のバトンを俺が落とした」と思ったからです。
シリコンバレーはスタンフォードから、HPが生まれ、それから、半導体とインターネットの世界を牽引してきました。
まさにその開拓者精神がジョブズにも引き継がれ、その後塵にも引き継がれています。
しかしながら、Appleから追い出されることによって、成功者の重責から逃れ、自分の好きなことに没頭するようになりました。
カート・コバーンやエリック・クラプトンが喋るならまだしも、世界最高の企業を作り上げた人物にはふさわしくないことがジョブズの公式伝記本には書いてあります。
ネクストのコンピュータを軍関連に売ったとき、「この薬物はいつやったかとか、いつ辞めた」というやりとりもありました。
ジョブズは「やったことない奴には分からんだろうな」というコメントも残しています。
・MacBookでのフワフワ浮くDockのアイコン一覧・ゴミ箱に吸い取られるような演出・iPhoneでスワイプするとバイーンとはねかえる
といったところは、確かにマイクロソフトやGoogleの製品では見られません。
ジョブズが住んでいた家には「瞑想ルーム」がありました。
発砲スチロールがたくさん敷き詰められて、ヤクで飛んでもフワフワしているようにしてあったのです。
そこに同居人がネコをつれてきて、小便をまきちらしました。その後、瞑想ルームはほったらかしにされたそうです。
ジョブズは、工場のみならず、ネクストの社屋、ピクサーの社屋、そしてAppleの新社屋を設計しました。
晩年はクルーザーを設計していました。
ある日、息子にApple新社屋の模型を見せます。
それを見た息子は「遠くから見ると、ここがチ○コに見えるぞ」と茶化しました。
ジョブズは、そんなことはないと否定しました。
しかし、翌日にどうしてもチ○コのイメージがこびりついて離れないと言って、設計を変えてしまいました。
ジョブズは案外正直なところもあるようです。
ジョブズは発明の特許をたくさん申請しておりますが、それはAppleのプロダクトだけではなく、建築に関してもたくさん申請していました。
ジョブズにとってオフィスを設計することは、家を設計することと同じであり、そのときに発想したアイデアは、プロダクトのための特許と同等の価値をもつのでした。
「僕はカリフォルニアの中産階級に生まれてお金に不自由したとがないんだ。インドに行って 貧困生活をすすんでやったほどだ。今ありえないほどのお金を手に入れたが、お金に対して自由でいたいと思っている。」
「Appleで手にしたお金でおかしくなった連中をたくさん見て来た。そうならないために、お金のために働くということをしたくない。」
ジョブズはお金から自由になりたいと思っており、「お金が儲かるからやる」という発想もありません。
だから「顧客が望むものを提供しろ」という人を軽蔑しました。
ジョブズが嫌いなタイプはビジネスマンであり、営業畑の人間でした。それに対して、エンジニアはアーティストだともてはやします。
「顧客が今後何を望むようになるのか、顧客本人よりも早くつかむのが自分たちの仕事だ」とおもうジョブズは、市場調査に頼りませんでした。歴史のページにないことをやることしか眼中にありませんでした。
「スタートアップを興してどこかに売って次に行く、こんなことをしたいと考えている連中が、自らを「アントレプレナー」と呼んでいるのは聞くだけで吐き気がする」とも言っておりました。
腐ったミカンを放置しておくと、他のミカンが腐る。日本で、こんなことを教師が言ったらすぐに免職になるでしょう。
しかし、ジョブズに言わせてみれば、二流の奴をのさばらせると、一流の人たちが快適ではなくなります。だから、良いプロダクトができません。
ジョブズは、一流の人たちをかき集めても「お前はクズだ」と言いつけます。一生懸命作ったプロトタイプに対しても「ガラクタだ」と決めつけます。ジョブズにとって、全てのものが「最高かガラクタ」でしかありません。
人に気を遣うことなく気軽に「クソだ」と言える。このように正直になれることを、「僕らの部屋に入れる入場料」だといいます。
「スティーブ、お前こそ頭のてっぺんからつま先までクソ野郎だ」と言われて、カンカンに怒鳴り合ったことも、ジョブズにとっては「人生でもそんなにはない素晴らしい体験だった」とふりかります。
ジョブズとって、会社とは、伝説のロックバンド、クリームのように、インプロビゼーションでかけあうジャムセッションのようなものなのでしょう。
スタンフォードで、ジョブスはこういいました。
「君たちの時間は限られている。だから自分以外のほかの誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。」と。
経営者の皆さんも、くだらない時間に人生を蝕まれないようにしましょう。
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「会社を興したことあるってかっこいいだろ」
世界初のパーソナルコンピュータの原型は、ヒューレット・パッカード(HP)に勤務していたウォズニアックが作りました。しかし、上層部は「こんなおもちゃ、誰が使うんだよ」 と製品化を却下したのです。
ジョブズはそれを喜びました。。すぐさま、クルマを売っぱらって部品を購入しました。
ウォズニアックはギーク仲間にオープンにして、貢献できればいいくらいにしか考えてなかったし、HPを辞める気なんかさらさらなかったのです。
そこでジョブズがウォズを口説いたのがこの言葉です。
「もしダメになってもいいじゃん。後で会社起こしたことあるって自慢できるってのは、 なかなか人生でもないことだよ。」
社名は、2人が大好きだったビートルズのレーベル名にしました。
こんなノリで作った会社が、世界有数の会社になったわけです。
ちなみに同じ頃、サイモンとガーファンクルは、若かりし頃、トムとジェリーというアマチュアバンドで当てたお金でキャデラックを買ってすぐに大破しました。
ニール・ヤングとステファンスティルスは、カナダをアメリカの結ぶ道を、お互い対向車線を走っていた時に出会って、伝説的なバンドを結成しました。
アメリカ人の起業って「ちょっとした出来心」なんですね。
「残りの一生を砂糖水を売って生きるのかい?」
スティーブ・ジョブズとウォズニアックは創業者ですが、社長ではありませんでした。
これが米国企業の面白いところです。
ちょうど出資者でもあったマイク・マークラが社長をやめる時期でした。
ジョブズはまだ自分が社長をやれるタマではないと思っており、社長を探していました。
彼はペプシの社長であるジョン・スカリーを招聘することにしました。
コカ・コーラと飲み比べるキャンペーン(ペプシチャレンジ)をしでかした人物です。
そこで、ささやいた言葉がこれです。
「残りの一生を砂糖水を売って生きるのか、それとも俺らと新しい未来を作るか。どっちがいいかい?」
かっこよく決めたリクルーティング劇でしたが、1年後にジョブズはこのスカリーを追い出そうとして失敗。
砂糖水を売っていた男から、クビを切られることになりりました。
ジョブズ、30歳の痛い思い出です。
「何も作らず、全てを作った」
Appleに投資したいというゼロックスに対して、ジョブズが要求したのは「最新のコンピュータ技術の現場を見せろ」ということでした。そして、実現したのが、パロアルト研究所の見学です。
「こんなすごい技術が商用化されずに腐っていくのか」と感嘆したそうです。
ジョブズはここで、マッキントッシュの原型となったデスクトップとマウスという概念を見たのです。
その中には、iPadのようなもの、iPhoneのようなものがあったとも言われています。
マッキントッシュは商品化できましたが、その後ジョブズは長い間Appleを離れます。
もしジョブズがAppleに戻らなかったら、iPhoneやiPadが、世界に現れずに闇に葬られた可能性もあったのです。
「契約書が分厚いのが気に入らない」
Apple上で動くソフトウェアのベンダーだったマイクソロフトのビル・ゲイツは、親の知人を頼って、IBMを訪問しました。
そこで唱えたのが「ディスクオペレーションシステム(DOS)」、IBMはそれを採用することにしました。
しかし、そんなものは当時のマイクロソフトにはないわけで、ゲイツが口八丁で売ったものでした。
彼は、もらった契約金で、すでに「DOSのようなもの」を開発している会社を買収し、それを「DOS」として売ったのです。
一方、Appleを追い出されたジョブズは、ネクストを創業しOSを開発していました。
IBMが採用をしたいと手をあげたがジョブズは断りました。
「契約書が分厚いのが気に入らない」と言ってゴミ箱に捨ててしまったのです。
もし、ここでIBMと組んでいたら、ウィンドウズはなかったのかもしれません。
どんなに重要なな商談であっても、気に食わないことはやらないというわけでした。
「ウィンドウズはMacのパクリなので」
スタンフォード大学の卒業式講演にてジョブズが
「Macがなかったら、今のPCに美しいフォントはなかったことになります」
と言った時、拍手喝采が起こりました。
ジョブズは、大学中退した後もモグっていたカリグラフィーの授業で、たくさんの美しい文字に出会っていました。
これが、マッキントッシュにたくさんのフォントが搭載されることに繋がりました。
このパクリ論争、実はゲイツがうまいことジョブズを言い負かしていたのです。
「あなたは、たまたま隣人が金持ちで、あなたはそこの家具を盗みました。それは、僕らより、ちょっと早かっただけなのではないですか。」と。
昔のことだから水に流すような人物ではありません。
10年前以上も前の恨みを、きっちり返すのがジョブズ流といえそうです。
「決してコピーはしないように!」
iPodのパッケージには、このメッセージが書いてありました。
当時の音楽業界は、ナップスターによる違法ダウンロードが横行しており、大手の音楽パブリッシャーは独自で楽曲をオンライン販売をしていました。
そこに、「俺らに任せろ」と割って入ったのが、Appleの iTunes Music Storeでした。
ジョブズはストアとセットの売り方をしました。
他社はユーザはPCにつなぐわけないだろと高をくくってました。
しかし、ジョブズはインターネットが当たり前になることを見越してました。
そして、ナップスターのユーザの動向も。
莫大な楽曲数の入るiPodと、莫大なラインナップの音楽が1曲ごとに手に入るオンラインストアをセットにすることで、Appaleは市場を制したのです。
「コピーをしないように」とは書いてありましたが、倒産したナップスターで行き所の失った音楽データは、iPodやMacにおさまっていたのです。
音楽業界の人たちは、俺たちがApple製品を売っているようなものだと愚痴をこぼしました。
時すでに遅し。音楽業界はジョブズたちの軍門にくだることになりました。
「明日、いつもと同じ一日が、忘れられない一日になります。」
ジョブズの晩年のある日、Appleのウェブサイトでは、
「明日、いつもと同じ一日が、忘れられない一日になります。」
という全面アナウンスがされました。
Appleファンの間では、新機種の発表かとざわめきました。
しかしその発表が「ビートルズ全楽曲の配信」と判明した時点で、落胆ムードと変わりました。
でも実はジョブズにとっては念願のことでした。
何気なく大好きなアーティストにまつわる単語を社名に選んだばっかりに、Appleレーベルとは長い間、係争をくりかえしていたのです。
一度は「Appleコンピュータは、音楽関連ビジネスをしない」という約束でおさまりましたが、そうはならず、社名も「Apple」となっていきました。
このような中で、堂々と「Apple」を名乗り、しかもビートルズナンバーを配信できるなんて、ジョブズにとっては夢のようなことだったのです。
「ちょっとしたゲームなのさ。」
スティーブ・ジョブズの愛車のメルセデスが、障害者向けの駐車スペースにあることが、しばしばニュースになりました。
とある日、
娘が、「なんでお父さんはナンバープレートをつけないの?」と聞きました。
ジョブズは「なんでだと思う?」と聞き返します。
娘は、「反逆者と思われたいからでしょ?」と言いました。
すると、ジョブズは「ちょっとしたゲームなのさ。」と言いました。
「人生最良の日」
すでにiPodで完全復活をとげて、iPhoneの開発にいそしんでいるスティーブ・ジョブズが、スタンフォードのスピーチで「人生最良の日」にあげたのは、30歳の頃でした。
彼は30歳にAppleを追い出されました。シリコンバレーを離れようとも思いました。
「シリコンバレーの精神のバトンを俺が落とした」と思ったからです。
シリコンバレーはスタンフォードから、HPが生まれ、それから、半導体とインターネットの世界を牽引してきました。
まさにその開拓者精神がジョブズにも引き継がれ、その後塵にも引き継がれています。
しかしながら、Appleから追い出されることによって、成功者の重責から逃れ、自分の好きなことに没頭するようになりました。
「LSDは自分の人生に大きな影響を与えた」
カート・コバーンやエリック・クラプトンが喋るならまだしも、世界最高の企業を作り上げた人物にはふさわしくないことがジョブズの公式伝記本には書いてあります。
ネクストのコンピュータを軍関連に売ったとき、「この薬物はいつやったかとか、いつ辞めた」というやりとりもありました。
ジョブズは「やったことない奴には分からんだろうな」というコメントも残しています。
・MacBookでのフワフワ浮くDockのアイコン一覧
・ゴミ箱に吸い取られるような演出
・iPhoneでスワイプするとバイーンとはねかえる
といったところは、確かにマイクロソフトやGoogleの製品では見られません。
ジョブズが住んでいた家には「瞑想ルーム」がありました。
発砲スチロールがたくさん敷き詰められて、ヤクで飛んでもフワフワしているようにしてあったのです。
そこに同居人がネコをつれてきて、小便をまきちらしました。
その後、瞑想ルームはほったらかしにされたそうです。
「遠くから見ると、ここがチ○コに見えるぞ」
ジョブズは、工場のみならず、ネクストの社屋、ピクサーの社屋、そしてAppleの新社屋を設計しました。
晩年はクルーザーを設計していました。
ある日、息子にApple新社屋の模型を見せます。
それを見た息子は「遠くから見ると、ここがチ○コに見えるぞ」と茶化しました。
ジョブズは、そんなことはないと否定しました。
しかし、翌日にどうしてもチ○コのイメージがこびりついて離れないと言って、設計を変えてしまいました。
ジョブズは案外正直なところもあるようです。
ジョブズは発明の特許をたくさん申請しておりますが、それはAppleのプロダクトだけではなく、建築に関してもたくさん申請していました。
ジョブズにとってオフィスを設計することは、家を設計することと同じであり、そのときに発想したアイデアは、プロダクトのための特許と同等の価値をもつのでした。
「金を儲けたいのではなく、すごいものを作りたい」
「僕はカリフォルニアの中産階級に生まれてお金に不自由したとがないんだ。インドに行って 貧困生活をすすんでやったほどだ。今ありえないほどのお金を手に入れたが、お金に対して自由でいたいと思っている。」
「Appleで手にしたお金でおかしくなった連中をたくさん見て来た。そうならないために、お金のために働くということをしたくない。」
ジョブズはお金から自由になりたいと思っており、「お金が儲かるからやる」という発想もありません。
だから「顧客が望むものを提供しろ」という人を軽蔑しました。
ジョブズが嫌いなタイプはビジネスマンであり、営業畑の人間でした。
それに対して、エンジニアはアーティストだともてはやします。
「顧客が今後何を望むようになるのか、顧客本人よりも早くつかむのが自分たちの仕事だ」とおもうジョブズは、市場調査に頼りませんでした。歴史のページにないことをやることしか眼中にありませんでした。
「スタートアップを興してどこかに売って次に行く、こんなことをしたいと考えている連中が、自らを「アントレプレナー」と呼んでいるのは聞くだけで吐き気がする」とも言っておりました。
「二流の奴らを排除しないとダメになる」
腐ったミカンを放置しておくと、他のミカンが腐る。
日本で、こんなことを教師が言ったらすぐに免職になるでしょう。
しかし、ジョブズに言わせてみれば、二流の奴をのさばらせると、一流の人たちが快適ではなくなります。
だから、良いプロダクトができません。
ジョブズは、一流の人たちをかき集めても「お前はクズだ」と言いつけます。
一生懸命作ったプロトタイプに対しても「ガラクタだ」と決めつけます。
ジョブズにとって、全てのものが「最高かガラクタ」でしかありません。
人に気を遣うことなく気軽に「クソだ」と言える。
このように正直になれることを、「僕らの部屋に入れる入場料」だといいます。
「スティーブ、お前こそ頭のてっぺんからつま先までクソ野郎だ」と言われて、カンカンに怒鳴り合ったことも、ジョブズにとっては「人生でもそんなにはない素晴らしい体験だった」とふりかります。
ジョブズとって、会社とは、伝説のロックバンド、クリームのように、インプロビゼーションでかけあうジャムセッションのようなものなのでしょう。
まとめ
スタンフォードで、ジョブスはこういいました。
「君たちの時間は限られている。だから自分以外のほかの誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。」と。
経営者の皆さんも、くだらない時間に人生を蝕まれないようにしましょう。
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